林けいこの老いの住まい
在宅介護を視点においたアドバイスや情報をお届けしています。
第26回
厄介な病気、アルコール依存症
京大付属病院精神科の検査で宣告された病名は「アルコール依存症」でした。
専門医の治療を受けるようにということで岩倉病院を紹介されました。
本人は精神科の診察ということに強い不満を感じているようでした。

「アルコール依存症」
冗談まじりで使っていたことはありましたが、病気という意識は薄く簡単に治るように思っていました。

なにより今は記憶の混濁を直すために栄養を摂ることのほうが先決です。
仕事を続けながら毎日3食、栄養のバランスのよい食事を用意するのはなかなか努力がいる作業でした。が私と家人の休日が異なることが幸いして、週に3日は誰かが家に居ることができます。残りの日は交互に仕事の調整をしてどちらかが早く帰宅することで対応しました。

栄養のある食事を用意してもすぐに「もうお腹いっぱいで入らない」と箸を置いてしまいます。永い間、お腹がすけばビールを飲むという暮らしで胃が小さくなっているのでしょう。
食事量が極端に少なくなっていました。

ご飯も野菜の煮物などもほんのわずかしか摂れないので野菜のポタージュにしました。これなら大量に作り置きができます。
夏の暑い盛りです。
冷たくして飲み物代わりに1日に何度も飲んでもらいました。

病院からいただいた薬とポタージュをメインとした食事で、2週間が過ぎたころから少しずつ記憶の混濁が少なくなってきました。
それでも話すことは昔のことばかりです。
何度も同じ話を繰り返すのには少しへきえきしながらも、食べ残しが少なくなり、食事量が増えていくのが嬉しくて、くたびれながらも張り合いのある日々でした。

1ヶ月も経つと、「今日のご飯はおいしかった」と感想を述べるようになってきました。
夕食後、しっかり食事が摂れた後は缶ビールを1本出します。
それを本当においしそうに飲むのです。

このまましっかり食事を摂りつづければアルコール依存症も治るのではないだろうか。
そんな期待さえを持つようになってきました。

昔、陸上競技でならした脚もすっかり細く、頼りない足取りです。
弱った体をたてなおそうと、家人が休日の日は近所の公園へ散歩に連れ出すようにしました。

「早く元気になって仕事をはじめたい」
こんな建設的な言葉が出るようになり、治る日は近いのではないかという期待がどんどん膨らんでいきます。

近所へ一人で買い物にも行くようになりました。
食料品を大量に買い込んで冷蔵庫に入れています。
私たちの負担を少しでも軽減しようとしてのことだと解して受け取っていました。

帰宅したとき時々「眠い」といって部屋から出てこないことがたびたびあります。
がそれほど不審にも思わず過ごしていました。


岩倉病院の検査の日が近づいてきました。

「ビールしか飲まないのにアルコール依存症なんかになるはずがない」。
「早く病院に行って元の元気な体にしよう」
毎日、相矛盾する二つの言葉が繰り返し、繰り返し出てきます。

「精神病院の受診」に強い抵抗感を感じていることはよく分かります。

予約の前日。
「明日は行きたくない」と急に強い口調で診察を拒否しました。
部屋にこもった彼を説得するために部屋に入って唖然としました。

部屋にはビールの空き缶がビニール袋に包んで置かれていたのです。
部屋でこっそり飲んでいたのです。
ショックでした。

とりあえず病院の予約はキャンセルました。

「早く病院に行って治したい」とい言ったあの言葉は何だったのか…。
不信感が頭をもたげてきました。
それからアルコール依存症について本格的に調べ始めました。

京都府の心の相談室にも電話してみました。

「担当医が来ている日にご本人を連れてご相談ください」
「行けないから電話でご相談しているのです」

腹がたってきます。

次第にアルコール依存症の厄介さが分かってきました。


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